アニメの感想・思い出を語らう部屋

好きなアニメ作品の感想、考察、思い出を書いていくブログです。他にもゲーム・特撮・漫画・映画やドラマのことも書いていこうと思います。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
今回はなんと親子対決だ。

レオンは、歴代の主人公に比べて過酷な状況に追い詰められることが多い。

まず生い立ちからして既に不幸だ。

守るべき人々によって母を火刑で殺され、その炎の中で産み落とされる。

そのとき記憶がトラウマとなって、常に暴走の危険を抱える。

敵にそのトラウマを利用され暴走、街を焼き払い人々を危険に晒してしまう。

その失態が原因で黄金騎士の資格を剥奪され、さらには復讐の対象を失ったことで生きる目的さえ見失う。

せっかく守りたい女性ができたのに、大切な女性だと自覚した後に死別する。

17歳の少年の人生としては、あまりにも過酷である。

そんなレオンが歴代の主人公に比べて恵まれてことがあるとすれば、父親のヘルマンと共に生きているということだろう。

冴島親子は幼少期に父親と死別、または離れ離れになっている。

流牙は父親の顔さえ知らない。

レオンにとって唯一の家族である父へルマンの存在は非常に大きい。

たとえ女好きの裸男であろうとも・・・

魔戒騎士は自分の息子に鎧を継承させる場合が多い。

鎧を継がせるということは、自身が騎士を引退することを意味する。

したがって、親子でホラーと戦う騎士というのは稀だろう。

レオンは母からガロの鎧を受け継いだため、ヘルマンのゾロの鎧は継がなかった。

そのため、別々の称号をもった騎士の親子が誕生したわけである。

先代ガロには息子がいなかった。

その場合は弟子とかに継がせるべきなのだろうが、その弟子もいなかったようなので、娘のアンナが鎧を管理していたのだろう。

黄金騎士は一世代分、空位となったわけだ。

先代が何歳まで現役だったかは不明だが、メンドーサが破門されたときには存命だったようだし、意外と長く続けたのかも。

友であったラファエロが40代程度にしか見えないし、若くして子持ちになった可能性はある。

もしかしたら、10代で娘ができていたってこともあるだろう。

いずれにせよ、17年以上黄金騎士は不在だったということだ。

地下神殿を調べるレオン達の前に立ちはだかったヘルマンは、これ以上探りを入れるのをやめるように忠告する。

当然レオンは納得しない。

言うことをきかせたければ力ずくでやれというヘルマンの言葉から2人は本気の戦いをする。

レオンに挑発的な言葉を浴びせるヘルマン。

本心を隠そうとしているように見える。

戦いを続けるレオンとヘルマンの間にガルムの使い魔が現れ、戦いを制止する。

レオンに引くように告げるガルム。

ガルムの口から、メンドーサの陰謀が語られる。

メンドーサの狙いは、ヴァリアンテに封印された巨大ホラー・アニマを復活させることだった。

アニマ復活の際、今までにない大量のホラーが出現することになる。

そこを叩くことで、一気にホラーを殲滅するというのが番犬所の計画だった。

騎士も法師も大幅に減った現状でどうやって大量のホラーを殲滅するのか?

ガルムは貴様らの力など必要ないと言い放ち、巨大魔導兵器を召喚する。

ヴァリアンテをホラーもろとも吹っ飛ばすということか?

無論これで全てのホラーを討滅できるわけではない。

無限に出現するホラーのほんの一部を消し去るだけだ。

アニマの復活を阻止すれば・・・と思わさるが番犬所にその考えはなく、その方法もわからない。

ヴァリアンテを滅ぼすことでアニマを含めた大量のホラーを討滅できれば、大勢の人々が助かるのも事実だった。

実際、この人手不足の状況で巨大ホラーと今までにない大量のホラーの出現を許せば、被害はヴァリアンテに留まらないだろう。

後手に回ってしまったことでメンドーサの企みを許し、アニマの封印を解かれた時点で手遅れということか。

大勢の人々を守るために少数の人々を切り捨てろ、要はそういうことだ。

番犬所の命令とはいえ、ヴァリアンテ王子のアルフォンソは全く納得できない。

そんなアルフォンソにヘルマンは、全ての人を救う方法があるのか?と問いかける。

騎士と法師の数も減り、自分達に守れる人々の数はたかが知れている。

誰だって犠牲は出したくない。

だが、その犠牲によってより多くの人々が守れるなら、それを選ぶのが守りし者の義務なんじゃないのか。

何の力もない無力な人々を世界を守るために見捨てろ。

レオンには到底納得できる理屈ではなかった。

何故なら、たった一人の命でも、それを未来に繋ぐためにレオンは再びガロの鎧を継いだからだ。

お互いに鎧を召喚し、壮絶な戦いを繰り広げるレオンとヘルマン。

今回はガロだけでなく、ゾロも咆哮を上げた。

ガロの咆哮はまた一段凄まじい。

戦いの最中、レオンの脳裏に幼少期の父との思い出が蘇る。

旅の途中、とある夫婦を守るためにホラーと戦うヘルマン。

相手のホラーは見た目がだらしないが、分裂能力を持った少々やっかいなホラーだった。

幼いレオンに夫婦の護衛を任せるヘルマンだったが、レオンは父が苦戦する様子を見ていられず飛び出してしまう。

実際のところヘルマンは相手の急所を探していただけで、それほど苦戦していなかった。

敵の心臓を発見し、そこを突こうとした矢先にレオンが足を引っ張ったため、夫婦は危険に晒された。

ヘルマンが夫婦を庇い、即座にホラーを倒したため夫婦の命は助かった。

だがヘルマンは腕に重症を負ってしまった。凄く痛そうだ・・・

レオンが飛び出さなければ、ヘルマンの思惑通りにホラーを倒せたはずだった。

ヘルマンはレオンを殴りつける。

レオンの愚行は純粋に父を心配してのことだった。

だが、それは守りし者の教えを理解していないことを意味する。

戦う術を持たない人々のために、剣となり盾となる。

それが魔戒騎士のすべてだ。

個人の力でできることなどたかが知れている。

守りきれないこともある。

それでも、その現実を受け入れてしまったらそこで終わりだ。

笑って暮らせる人を一人でも守るために戦う。

人は子を残すことで永遠を手にしている。かつて元老院の老師はそう言った。

たとえ自分が死んでも、息子があるいは他の誰かがその鎧を受け継いで戦う。

だから俺たちは死なない、続いていくのだと、それが父の教えだった。

ヘルマンは魔戒騎士として、息子に適切な指導をしていた。

レオンのトラウマを払拭できなかったことは大きな後悔となったようだが、今はもうその心配もない。

戦いの中で父の教えを思いだしたレオンは、ヘルマンがたった一人でも犠牲を許すはずがないと思いなおす。

レオンの成長を認めたヘルマンは本気で戦うことを決意、烈火炎装を繰り出す。

全然使わないから存在をすっかり忘れていたが、烈火炎装は魔戒騎士の必殺技と言うべきものだ。

この技は、魔界の炎である魔導火を全身または武器に纏わせ、攻撃力と防御力を飛躍的に向上させるものだ。

デメリットとして使用者の体力を激しく消耗させる諸刃の剣とされている。

誰でも使用できるわけではなく、これを扱えるのは優れた騎士の証拠なのだ。

ヘルマンはともかく、レオンもきっちり使いこなしている。

よく見たら、今回のガロにはマントがない。

マント一つで随分雰囲気が変わるな。

お互い全力でぶつかるガロとゾロ。

ゾロの剣を弾き、ガロの勝利かと思ったが、ゾロはガロの一撃をかわして背中に肘撃ちを決め、川に転落させる。

若さと勢いで圧倒したかに見えたが、やはり親父の壁は厚い。

最後はベテランの経験が若手の力を上回り、ゾロに軍配が上がった。

川から上がってきたレオンの手には、魔導輪ジルバがあった。

やはりヘルマンには何か考えがあるようだ。

番犬所の思惑はメンドーサに見抜かれていた。

ガルムには隠すつもりがなさそうに見えるが。

メンドーサはアニマを利用して、永遠を手に入れることが目的のようだ。

欲望のままに戦う人々を蔑み、人間を支配しなければならないなどと言っていた割には、自分も欲に塗れた人間と大差ないではないか。

今回の番犬所の考えを聞いて、人々の救済について考えさせられた。

何年も前から何度となく考えてしまうことであり、こういった勧善懲悪物の物語では永遠のテーマだろう。

全ての人々を救おうとして、大勢の犠牲を出してしまうのなら、少数を犠牲にしてより多くの人々を救うべき。

反論の余地を全く挟めない完璧な理屈だ。

ただ、この理屈には情がない。

これを実行する人間には、まともな心がないか、よほど強い覚悟を持っているかのどちらかだ。

この行為は人々を救うという面では正義だが、実際の行動としては悪と見做されるだろう。

大勢の人々を救うという行為は正義の行いではある。だが少数の人々、それも目の前の人々を見捨てる行為は誰がなんと言っても悪である。

より多くの人々を救うために確実な方法を取るのは正しい。

だが、そのために悪行といっていいほどの残酷な行いをしなければいけない。

心は正義と思っていても、体は悪を成す。

この矛盾は大きく、真っ当な心を持つ人間は壊れていくだろう。

そもそも、善良な人間はこんな理屈に納得などしない。

切り捨てられる人間の心情を考えれば、まず間違いなく躊躇する。

そういう人間に対してかけられる言葉はいろいろあると思う。例えば、

「全ての人々救う方法などない」

「大と小を比べて、小を切り捨てるのは当然、仕方がない」

「青臭い、もっと現実的に考えろ」

「大勢の犠牲が出たとき、責任がとれるのか?」

「より多くの人々を救おうとするなら、確実な方法を取るべき、全てを救おうとしてリスクを犯すのは愚か」

俺が思いつくのはこれくらいだ。

こういった事態において明確な回答などないのではないか?という気がしてきた。

顔も知らない大勢の人々を救うため、目の前の人々を切り捨てる。

その考えが正しいことはわかる、だがその手段が納得できない。

これが真っ当な人間の心情だろう。

正義とは正しい道義を意味する。

それを実行しようとした結果、悪行を成しているとはどういうことなのか。

人々を救うという行為は、個人の手に余るということなのか?

全ての人々を救うためにリスクを犯すのではなく、確実に多くを助けるため少数の犠牲を出す。

こういう行いをする者は、決して人々から賞賛されたりはしないだろう。

英雄視されるのは、こういった問題を万事解決するような人間だ。

現実にそんな奴はいない。

アニメや漫画では存在し、端から見ているとご都合主義というか、所詮アニメかと思ってしまう。

どうあがいても犠牲は出る。

納得いく形で事態を収拾するのは難しい。

多くを救おうとするから、矛盾に苦しめられる。

ならば少数を救おうとすれば、苦悩することもないのだろうか。

そうとも言えないだろうが、ヘルマンは一つの結論を出している。

個人の手で救える人間はたかが知れているが、それでもわずかな人々が笑顔で暮らせるならば意義はある。

自分が死んでも息子が、他の誰かが鎧とともにその戦いを引き継ぎ、それが永遠に続く。

己の意思を受け継いでくれる人間がいるから、戦い続けることができる。

戦い続けることで、救われる人間がいる。

何より、その生き様を貫いているのは自分だけではない。

志を同じくした者達がいるのだ。

だからこれでいいのだと、そう息子に教えを説いた男は今後、どういう行動に出るのだろうか。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

HIT

Author:HIT
北海道で農家を営む30代男です。

アニメ作品の思い出をブログで綴っていきます。

感想、自分なりの考察も書いていくブログです。

読んでいただければ幸いです。

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

[ジャンルランキング]
アニメ・コミック
2927位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
アニメ
1229位
アクセスランキングを見る>>

にほんブログ村 アニメブログへ
にほんブログ村

この人とブロともになる

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。